“我が子が末永く幸せに過ごせるように”と、両親は彼らに実の生る植物の名前を与えた。
世代交代を繰り返しながら生き続ける植物のように、苦難に出逢おうとも幸せになって欲しいという想いを込めて、妻と夫が2人で必死に考えた名前だった。
一卵性で生まれた双子のうち、やや顔立ちが鋭く常に冷静な兄はロディア。柔和な顔立ちで、優しく穏やかな性格をした弟はラクス。2人の誕生を記念して、庭にはザクロとブドウの木の苗が植えられた。ロディアとラクスは、ふたつの苗の成長を見守りながら、いつも2人で囁き合うのだ。
「この木みたいにずっと一緒に大きくなって、お父さんとお母さんをもっと幸せにしようね」
素直で親想いな2人は、そうしていつも笑っていた。それがずっと続いていくものだと信じていたから、純粋に笑い合うことが出来た。
――それが狂い始めたのは、14年前の夏。ロディアとラクスがマジクル・タウンの小学校に通い始めて数か月が経ち、7歳の夏休みを謳歌していたある日の事だった。
「ラクスー、補習まだ終わんないか?」
教室の窓の外から呼ばわる兄の声に、まだだよと申し訳なさそうに返事をする。このやり取りも何回目になるのだろう。
夏休みだというのに、休み前のテストの点数が思わしくなかったラクスは補習を受けていた。全科目をそつなくこなす兄とは違い、この弟は家庭科の授業だけは飛び抜けて得意だというのに算数がからきし駄目なのだ。そのため週に2日ほど、こうして補習を受けている。
今日は補習終わりにロディアと2人で遊ぶ約束をしていたため、出来のいい兄はわざわざ学校まで来て待っていてくれていた。しかし算数への苦手意識からか補習はなかなか終わらず、ラクスは申し訳ない気持ちで眉を下げる。
ロディアは窓の外で花壇のふちに座り込み、向こうを向いて足をぷらぷらとさせていた。子供の目から見ても退屈しているのが分かって、ラクスは思い切って声をかける。
「ねえ、おにいちゃん」
「なんだよー」
呼べば直ぐに飛んでくる返答。やはり兄は退屈しているのだと分かり、ラクスは声を大きくした。
「さきに遊びに行ってていいよ。ぼく、これおわったらすぐ行くから」
「え、でもよ……」
弟の言葉に思わずといった様子で振り返った兄は、やや迷うような様子を見せた。そもそも兄が学校まで一緒について来たのは、ここ最近マジクル・タウン中心部でのみ頻発している誘拐事件のためだった。小学校低学年の男児が狙われているため、該当する年齢の生徒は絶対に1人で行動しないように、ときつく言い置かれている。ロディアは昔から俊足で、かつ人目の多い場所に居るように心がけているため1人でもなんら問題はないだろうが、ラクスはそのあたりが昔から抜けていた。
それでもラクスは、自分を心配してくれているのだと分かっても兄を退屈させてしまう方が嫌だった。事件をどこか他人事のように思っていた事もあり、幼心から事件への恐怖よりも兄への申し訳なさが勝ってしまったのだ。
「大丈夫だよ、なにかあったらちゃんと逃げるし、まだこんなに明るいもん。きにしないで、行ってて」
「んー……わかった」
兄は不承不承といった様子で頷いた。気を付けるんだぞ!人の多い場所に行くんだぞ!と何度も念押しをしながら去っていく小さな背中を、ラクスはひらひらと手を振って見送る。何度もこちらを振り返るその姿がやがて見えなくなる。
「……はやく、やらなきゃ」
ラクスは窓から手元のプリントへと視線を戻した。1人ぼっちになったせいか、心なしか教室がしんとして寂しく感じる。
今更になって恐怖が込み上げてきて、ラクスはせわしなく立ち上がってキョロキョロと教室を見まわした。しかし、ラクス以外には誰も居ない。
「せ、せんせー……?どこ?」
1人になってしまった寂しさから補習を担当している筈の教師の姿を探す。先程から解けずにつまずいていた問題の解き方もついでに聞いてしまおうと思い、ラクスはプリントと筆記用具を持って教室を出た。
「せんせー……?」
廊下に出ても、教師の姿は何処にもない。この学校は居住区に位置しているため、マジクル・タウン中心部でのみ起きている誘拐事件を他人事として捉えているのは子供に限った話ではないようだった。いつもは騒がしい校内が静まり返っている様子は更に恐怖心を煽り、自分で兄を先に行かせたというのに今更になって「やっぱり一緒に居て貰えば良かった」という後悔が湧き上がる。
「うう……まだ明るいのに、なんかこわい……」
両手で握りしめたプリントがくしゃりと音を立てる。その音にさえびくりと肩が震えてしまって、ラクスは早く教師を見つけたい一心で小走りに廊下を進んでいった。廊下は走るな、と毎回のように叱りつける母の姿が目に浮かんだが、そんなことを気にしていられる状況ではない。
(いいもん、後で怒られちゃってもいいもん)
後でたくさん怒られるから今だけは許して!と誰も居ない廊下で必死に心の中で許しを請いながら教師を探して走り回るラクスは、お察しの通りかなりの怖がりであった。
「せんせー……?せんせぇー……」
いくら探しても教師が見つからずに半べそをかいていたラクスだったが、ふと廊下の先にうずくまっている人影を発見して立ち止まる。
その人影は長い髪を垂れ流して背を丸める後ろ姿からして女性であるらしく、遠目からでも肩を震わせているのが見えた。どこか痛めているのかと心配になり、ラクスは足早に駆け寄って声をかける。
「あ、あの……」
おずおずと女性の肩を控えめに叩く。よほど苦しいのかラクスの力が弱すぎたのか、女性は向こうを向いて震えたままで何の反応も示さなかった。その姿はとても苦しそうに見えて、居ても立ってもいられなくなったラクスは勇気を振り絞って声を張り上げた。
「あ、あのっ!だいじょうぶ、ですか?」
緊張で思わず声が上擦ってしまったが、はっきりとした声は出た。無反応だった女性もゆるゆると顔を上げ、緩慢な動作でラクスの方を振り返った。
目は長い髪に隠れてしまっているうえに顔色は悪く、爪は伸びっぱなしになっている。あまりにも不健康な外見に思わず面食らったラクスだが、それだけ体調が悪いのだと解釈してつとめて優しく笑いかける。
「おなか痛いんですか?保健室、行きますか?」
振り返った体勢のままでは女性がつらいだろうと、ラクスは女性の真横に移動して声をかけ続ける。しかし女性はじっとラクスを見つめたまま動かず、何の言葉も発さなかった。そんなに体調が悪いのかと、ラクスは慌てて周りを見回して教師の姿を探す。
「痛くて、うごけないのかな……。あのっ、ぼく、せんせー呼んできます!」
だから待っててください、と女性に背を向けて駆け出そうとしたとき、不意に左腕を掴まれた。
「え、」
驚く暇もなく体を反転させられたかと思うと、右腕も同様に掴まれる。強い力を込められて思わず痛みに眉をしかめたのも束の間、そのままがっちりと女性の腕の中に抱き込まれた。予想外の出来事に固まっているラクスの耳に、女性の息が零れる。
「――やさしぃ子ねぇ……」
地を這うような掠れた声音が耳元を這い回り、生理的嫌悪感から鳥肌が立った。思わず逃げようとするラクスの小さな背に腕を回してしっかりと抱き締めると、女性は至近距離からラクスの顔を覗き込んで来る。
――この世のものとは思えないような、血走った目。
「……っ」
恐怖のあまり声が出なかった。身体は引き攣り、顔は強張り、まるで言う事を聞いてくれなかった。子供ながら、目の前の女性に対する本能的な恐怖がひっきりなしに警鐘を鳴らしている。
けれども悲鳴の一つもあげられず、ラクスはそのまま意識を失った。
或いはそれは、大きすぎる恐怖から心を守るために無意識のうちにとった自己防衛の手段なのかもしれない。
しかしその先に3年にも渡る地獄のような恐怖が待ち受けている事など、当時のラクスには知る由も無かった。
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はいどうも!零下です!
初めての小説投下はラクスのトラウマの一部を文字に起こしたものなりました!
初っ端からこれってどうなのよ…って感じですが、私が書く小説はいっつもこんな感じです←
ラクスが誘拐された事件は3年間の監禁と被害者の生還という事実も相俟って、わりと知名度のある事件になってたらいいなーと個人的に妄想してたりします。それが故に過剰な報道によるラクスへのセカンドレ〇プも酷くて、ラクスの出奔につながった、みたいな(・ω・*)
ラクスのトラウマ、残り部分も小説にしたいなあ…その時は他キャラさんもいっぱい絡めたものを書きたいです。
ではでは、失礼しました~(*⌒ω⌒)ノシ
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2017.11.26 08:25