「おーっと」
ざっぱーん、と迫ってくる波に触れないように異世界人・フロシキせんせーこと武蔵野 四鬼丞(むさしの しきじょう)は砂浜を歩いていた。
彼が住まう【癒しの小島】は島の中央に行けば楽しい観光地(ビーチ)そのものだが、彼が今いるのは島の隅の隅の砂浜なので、人気がなかった。
彼は、まるで人目を避けるかのように島の隅っこの森の入り口に建ったギルド・【フロシキせんせー院】に住んでいる。
森と砂浜が面したこのギルドはとても静かで穏やかだ。最初この魔法と奇跡の世界に慣れることが出来なかった彼からすると、その環境は何とも有り難いと思ったものだ。
其処は、ゆっくりと、この世界に慣れてゆける場所だったから。
…………ただ一つ、苦手なものがあることを除いて。
もしかしたらだが、このギルドの元ギルド長は自然が大好きすぎるんかもなー?と四鬼丞は思っていた。
だから騒がしい中央区ではなく、静かな森の入り口にギルドを建てたのかも知れない。
元はちまたではそれなりに有名だった【タクティカル・チーム】という戦闘ギルドだった彼のギルドは、今や見る影もない医療ギルドさながらだが自然に囲まれ普段はとても穏やかに見える。
『ここはわしとあやつが一緒に建てたのじゃよ』と愛しげに笑んでいたシズクノハナサクヤヒメ―――ギルドの相方の言葉を思い出し、四鬼丞は「あの人と姫は本当に仲が良かったんだな」と笑みを浮かべた。
前ギルド長が“いなくなった”後、ギルド長を引き継いだ彼には分からないことはいまだに多い。
ざっぱーん。
そうこうしているうちにも波打ち際から、また波の猛襲だ。
ざっぱーん。
今度は二回。
「ひゃったったったっ」
ささっと一滴の水にも触れないように海から遠ざかって歩く四鬼丞は、根っからのカナヅチだったりする。
むしろ水は大の苦手なのだ。顔には出さないように何気に必死だが、背筋には冷や汗がだらだら流れていたりするものだから、本当に水はダメダメなのだろう。
カナヅチというか水恐怖症というか。
そもそも、四鬼丞は普段は砂浜を歩くなんてほとんどしない。
だって、水に触りたくない(出来れば)。
だったら何故今彼がここにいるのかと言うと、薬の材料の採取のためだった。彼は医者だから。まあ、つまりは仕事中なのだ。
この魔法と奇跡の世界では特殊な効果を発揮する素材があふれている。それは草だったり花だったり樹液だったり―――時には鳥の羽根だったり、狼の毛皮だったり。
とにかく様々で、異世界人である彼の元々の常識から外れたものばかりだ。
海辺に落ちている小石一つが大切な材料の一つだったりするものだから、四鬼丞はこの世界に来てからというもの、未知との遭遇と同時に勉強の毎日だった。
今も片手に抱えたカゴの中に、色とりどりの花や貝殻、砂浜の砂、海鳥の羽根――――水がダメな彼がどうやって採ったのか、海水などなどが詰め込まれていたりする。
ぱしゃんっ。
寄せては返す波。あれに入ったら死ぬんやろなー、と思う四鬼丞は癒しの小島に向かないのではないだろうか。
(…………あれ?)
海と四鬼丞の距離は遠い。
だが、その波の間を割るかのように、小さく透明な……丸いもの?が見えた気がして四鬼丞はじっと波間に目をこらす。
彼は片眼鏡こそ着けてはいるが、とある事情で右の視力に異常をきたしているだけであって、実は目がそこまで悪いという訳でもない。
海に近づくのは気が引けたが、丸いものの透明な光に見覚えがあった気がして、四鬼丞は水に触れるギリギリのところまで近づいてから、「あっ」と目を丸くした。
きら、と波間で強く光る透明なものに、四鬼丞は急いで近づいてゆく。
ぐすぐす。
ぐすぐす。
丸い『それ』からぽろぽろと零れているのは、涙。
もしかしたら透明なそれが波間にありながらも強く光って見えたのは、涙のせいもあるのかもしれない。
「エドウィンはんのクラゲはん……やな?」
透明、というか半透明な丸いものの正体は、小さなクラゲだった。
エドウィン・ダイヤというギルドのお得意様の一人である青年が使役する、クラゲ族のメスの子だ。いったいこんな所でどうしたというのだろうか。
クラゲなので目がどこにあるかも分からない、というかクラゲには目があっただろうか?と思うのだが、ぽろぽろ流れるのは塩辛い水。
もしかしたら海の水と涙を混同しているのかもしれない、と四鬼丞はちょっと思ったりもしたが、涙なのだと思うことにして――――
波間から丁度砂浜に辿り着いたクラゲを、水に触れないように(どんだけ)手に取って、首を傾げた。そっと、しゃがみ込む。
彼らは毒性のあるクラゲたちではあるが、普段触れる分には問題はない。クラゲを手に持つ、なんて元の世界では経験がなかったが、エドウィンと会ってからこれが普通になって来ている気がしていた。
郷に入っては郷に従え。(※この世界に来てからの四鬼丞的言い聞かせ文句)
ぽろぽろ、いまだに流れ落ちてゆくのは、やっぱり涙。
海水ではない。
「クラゲはん……あの、どしたん?」
どしたん?と聞いても無駄なのは分かっていた。元々一般人の四鬼丞にクラゲと話す能力などない。
エドウィンがいれば通訳してくれたのかも知れないが、生憎エドウィンはいないようだ。
普段海の運び手と言わんばかりに、配達員であるエドウィンの手伝いをする彼らだが、そのプライベートなど知る余地もないのでどう対処すればいいものか。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、と流れ続ける涙をぬぐいながら、四鬼丞は困ったように肩を落とす。
どうしたものか。泣いている理由が分からないのだから、どうすることも出来ない。
うーん、うーん、と四鬼丞は真面目に悩む。
この子はまだクラゲの子どものようだから、まるで自分が子どもを泣かせてしまったかのようであわててしまう。
だけど、確かこの子は前に見たことがある。マリン、という名前でエドウィンが呼んでいたのを四鬼丞は覚えていた。
「確かマリンはん……やな?」
『っ!』
はっとしたようにクラゲが身体をこちらに向けるのが分かって、当たりだと分かった四鬼丞はホッとした。この世界の生き物は彼の常識では図れない。もしかしたら意外にエドウィン以外でも意思疎通が出来ないこともないのだろうか?
「泣いてばっかおっても俺どうしたらええか分からへんから、とにかくほら、泣き止んでな。な?悪いようにはせんから、落ち着いてくれへんか?」
『みー!』
クラゲが身体を震わせる音だろうか?一瞬みー、と鳴いた気がしたが、気のせいだろうか。
ネコ科の生き物が上げる鳴き声に似たそれにちょっと和んだがそれよりこの子のことだ、とクラゲのマリンと向き合った四鬼丞は、ややあってからぴょん、と自分の手から飛び降り、砂浜に降り立ったマリンを見下ろした。
「うん?」
『みー、みみみ、みー』
マリンは身振り手振りで、四鬼丞に何かを伝えようとしているようだった。
「えっと……何やて?え・ど・ウィン……が?」
『みー!みー!みー!』
しゃ!しゃ!しゃ!と触手を動かし、ジェスチャーするマリン。
四鬼丞はそれに目をこらして、何とか解読しようとする。特別強い魔法など持たない四鬼丞だ、ものすごく真剣だった。
せいぜい小さな炎を出したり、刃を少し操ったり出来る程度の術者である四鬼丞は、自力で出来ることをひたすらやるのが合っているのだ。性格的にもその方が合う。
ぴょんぴょんと飛び跳ね始めたマリンの動きを追って、四鬼丞は真剣にその動きを見つめることに徹した。
それから、お互いに出来る限り色々とあれこれ頑張ってみて、数十分が過ぎた。
「あ~~~~…………」
『みーーーー!!みっ!』
「うーん……えっと、『えど・うぃん・が』……『よん・で・くれた・のに』……『けが・して・いけ・ない』……『どうしよう』???」
『みー!!』
砂浜を蹴ってみたり、砂浜にあった貝殻を持ち上げてぐるぐると回ってみたり、そこらじゅうを駆けずり回ってみたり。
マリンはとにかく身振り手振りで伝わるように頑張った。
その末、嬉しそうに宙に跳ね上がるマリン。
頑張りすぎて目がぼんやりした疲れ目になってしまった四鬼丞は、少し息を吐いてからうん、と一つうなずく。
「これで合ってるんやな!」
『みー!』
「うっしゃ!やっと分かったーーー!!」
うんうん、とうなずくような動作を見せたマリンに、ガッツポーズで四鬼丞は満面の笑みを浮かべる。
だいぶ悩んだ末、四鬼丞が出した答えは『エドウィンが呼んでくれたのに怪我して行けない、どうしよう』だった。
苦戦はしたが、合っていて良かった。
「怪我して行けない…………ああ~~~、なるほど」
(泣いてたんは、痛くて泣いてたんと、エドウィンはんの所に行けんくて泣いてたんと…………両方なんやろか?)
よく見ればマリンの背中(?)に大きな切り傷があった。もしかしたら海をただようガラスの破片か何かで怪我をしたのかもしれない。刃物より鋭利(えいり)ではないもので怪我をしているように見とれた。
今度シードラゴン殿と海のゴミについて話し合うべきやろか、と四鬼丞はこっそり思った。
エドウィンとマリン達の仲の良さや絆の深さを思うと、雨の中でも風の中でも怪我をしていても駆けつける、というイメージがあるのだが、もしかしたらマリンは違うことを考えたのだろうか。
「もしかして、俺に治してもらおうと思ってここに来たん?」
『みみー!』
こくこくとうなずくマリン。どうやらそれで正解のようだ。
四鬼丞はうんうん、とひとつうなずいてから、目線を(と言ってもマリンの目がどこにあるかは分からなかったが)マリンの身体の正面に合わせ、そっとその身体をなでた。
まだ涙に濡れている身体をそっとなでてあげて、四鬼丞は笑みを浮かべる。
いつもの、ふんわりあったかな笑みだ。
「ご主人がいい人なら、クラゲはんたちもいい子なんやな。きっと、マリンはんはエドウィンはんに心配かけたくなかったんやろ?」
ぱっと、その言葉に頭を上げたマリンの意図は当たらずも遠からずなのだろう。
「怪我していても呼びかけに応えることは出来るけど、そのまま行っても心配をかけるどころかちゃんと仕事も出来へんかもしれん。
仲良しだけどその為に無理をするのは極力ひかえる。そういうのもひとつの友情のカタチやから。あんたは、きっと本当にエドウィンはんが好きなんやな」
とか言ってる俺はたぶん、そう言えるだけの説得力のある生き方してる訳でもないけどな、と内心苦笑する。
俺が故郷でそれをやらかしていたら、たぶん早い内に戦場で死んでしもとったやろから、ある意味武人としての心構えにも通じるものがあるのかもしれんな……と四鬼丞は思ってしまった。
しばらく何かを考えるかのように天上を眺めていた四鬼丞だが、しばし後に「よーし」と、かけ声と共に立ち上がった。
「したら、ちょっとまず翠仙に会いにいこーか!」
『みゅ?』
「ああ。“何で?”ってか?えっとな、海の生き物の怪我を治す特効薬を作るのに、キツネの毛が必要やからや。あとラクスにブドウももらいにいこ。こっちはエドウィンはんと、それにアメリアはんへのお土産にな」
『みー!!』
何度も何度もマリンの言葉を解読しようと必死になっている内に、いつの間にか何となくでもマリンが伝えたいことが分かるようになって来たらしい四鬼丞である。
マリンをそっと抱っこして、四鬼丞は歩き出した。
翠仙というのは、この世界で出会った、同じ世界出身の銀狐である。霊狐であり空狐――――俗に言う神格を持った存在だ。
正確に言うと、二人が生まれた時代は異なるのだが、奇跡的にこの世界で出会うことが出来た『友達』だ。
――――色々あって、友達になるまでにはだいぶ時間がかかったが。
そして、ラクスというのはラクス・レイモーンと言って、【フロシキせんせー院】の貴重なギルドメンバーの一人である。
(そういえば、犬猫にもちゃんと個性があるって母上が言ってたことあったな。
クラゲもそうなのかもしれんから、このことはまた別の考えを持ってる子もいるんやろな。そのクラゲたちをまとめてるあの人はだいぶ凄いんや)
そう考えると、どんな世界の人間でもちょっと個性や生まれが違うってだけで、みんなそう変わらないのだろうか?
いまだにこの世界に慣れきることが出来ていない四鬼丞だが、そんな風に考えるとちょっとこの世界に『近づけた』気がして、何だか嬉しかった。
「翠仙もう来とるかなー。今日は老人会やったはずやからたぶんおるよなー?」
海に背を向け、カゴの中の海水へとマリンに入ってもらって、四鬼丞は歩き出す。
「キツネの毛とー、ドラゴンのウロコとー、ウサギの涙とー……あっ、ラビッツとアレス坊にも連絡しよ」
そんな独り言を海に残して、四鬼丞はギルドへと帰って行った。
海辺で、寄せては返す波が空から降って来る光に反射して、キラキラ輝く。それは宝石のようにキレイなきらめきなのかもしれない。
いつでも海がそばにある、自然美とみずみずしさがあふれた景色。それは人によってはうらやむものであるはずなのだが、四鬼丞にとっては必ずしもそうではない。
環境はともかくとして、水は勘弁してほしい(本当にどんだけ)。
もったいないことに、海さえ苦手な四鬼丞はその光景に目を向けずに、仕事へと足を向けるのだった。
*** *** ***
以上、数週間前に思い付いたお話を書いてみました!(●´ω`●)
フロシキせんせーのちょっとした小話です。
ゆのちゃんのエドウィン・ダイヤくんの設定を大活用させて頂いたお話です。この後日談も浮かんでるので、時間が出来たら書きたいです。
エドウィンくん以外にも一部お名前お借りしたりお話のネタとしてお借りしたりしました!有り難う御座います!m(__*)m
クラゲ族は実際『みー』と鳴くのか?などと思うかも知れませんが、たぶん鳴かないと思いますので←、きっと身体がこすれた時に鳴る音なんだよ!みたいな解釈でお願いします←。
ではでは今回はこれにて!m(__*)m<久々にマジクルのお話が書けて楽しかったです!!
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